TEL. 0743-66-0044
〒632-0057 奈良県天理市新泉町306
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歳旦祭(さいたんさい)は、戦前の祝祭日の中の皇室祭祀令に基づく小祭日の一つ。現在では新暦1月1日(元日)に宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で行われる年始を祝う祭祀である。当神社においては、皇室の繁栄と、五穀豊穣と氏子崇敬者皆々様の隆昌を祈念します。
☆御神楽祭 14時 ~
地元氏子の方々の新年初神楽を奉仕します。
日本最古の神社で大国魂大神をお祀りする神社として知られる。 開運招福・学業成就・家内安全・交通安全・厄除け・災難除け・国家安泰などにご利益があるといわれ、広々と緑あふれる境内には、万葉歌碑「好去好来」の歌碑を建立(平成27年8月5日)し、交通安全の神威もUPしています。
参道に新しく敷きつめた玉砂利を踏みしめて、落ち着いてお詣りしたい方には、最適な初詣スポットです。境内には、おみくじや授与品のほか、お神酒のふるまいなど、ぬくもりある心の神社です。
宮中三殿で行われる天皇の親祭。皇位の元始を祝うもので、年の始めにあたり、天孫降臨に始まる国の大元を寿ぎ、皇室の御繁栄と国家の隆昌をお祈りします。
当神社においては、皇室の繁栄と、五穀豊穣と氏子崇敬者皆々様の隆昌を祈念します。
11時50分~13時00分
参拝者に善哉のふるまい。善哉は、500食用意しています。無くなり次第終了です。
13時00分~15時00分 ☆お弓始め祭式典
御祭神八千戈大神(やちほこのおおかみ)の例祭新年を迎えての弓打ち神事として厄払いで、一年の健康と作物の豊作を祈願する。
祭典後(13時30分頃~)、拝殿前で天理南中学生15名、奈良県弓道連盟会員40名で、小笠原流弓術の作法で弓を射る。
祭典前(11時50分)から参拝者に「ぜんざい」の接待を行う。500食限定で、無くなり次第終了。早めに参拝を。
御祭神八千戈大神(やちほこのおおかみ)の例祭.
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11時00分~11時30分
祭神 大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
医療の神、少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀ることから“歯の神”と言われている。また、古くは、“葉状神社”と呼ばれ、農業・特に葉物野菜の種蒔きに際して、当社に豊作を祈願したともいう説もある。
拝殿前に、石が3個据えられている。人の前歯や犬歯、臼歯を連想させる形の石である。
古老の話によると、例祭には、県内外の歯医者さんが例祭に参列していたという。
午前6時頃神社前の広場でトンドが点火され、地元の人が参拝に来られます。
この、トンドで注連縄などを炊き上げて、琵琶の葉に小豆粥・お餅を乗せたお供え物を供えて参拝されます。
16時~ ☆ 節分祭 式典
19時~ 鬼やらい式
赤鬼、青鬼、天狗の演技
節分とは“鬼は外、福は内”という言葉と共に、豆をまいて鬼を退治する行事である。別名鬼やらいと呼ばれる行事である。
疫病を追い払う「鬼やらい」または「追儺」と呼ばれる儀式のこと。平安時代に宮中で大晦日に行われた。
「方相氏」と呼ばれる役職の人物が鬼を追い払う役目を負っていた。後に、節分の際に豆撒きをする起源となった。
大豆をまく由来として、豆を“魔目(まめ)”もしくは“魔滅(まめつ)”にかけて鬼の目を意味し、力強く打ちつけることによって邪鬼を追い払おうとしたと言われている。
この節分の行事には、立春の前日に邪鬼を払い、身のケガレを清め、新たな春の訪れを待ちのぞんだ人々の願いが込められているのである。
大和神社では、毎年、節分(2月3日)に節分行事「鬼やらい神事」を斎行しており、午後7時に、拝殿にて古式に則り行われます。「赤鬼、青鬼を矛を持った天狗が追い払います。」 邪鬼を払い、身のケガレを清め、人々の幸福と平和な生活を願います。
その後、参拝者に豆まき(空くじ無しの豆袋)を行います。
14時~ 御祭神
御歳大神(みとしのおおかみ)の例祭。
御年神は田畑を守りて穀物に幸ひ給ふ大神なれば、大昔より執行せられたるものなり。
2016年2月10日の御田植祭で、112年ぶりに「田植歌」を復興しました。詳しくはこちらへ
農耕儀礼終了後、観客が植えた苗(松葉)を争って拾い取ります。この苗には、抽選券が付けられ景品と交換します。
御田植祭の起源は、
何年頃よりか定かならざれども、本社の御祭神の御一座なる御年神は田畑を守りて穀物に幸ひ給ふ大神なれば、往昔より鍬山祭御田植式と稱してこの神事を執行せられたるものなり。
地元小・中学生9名《田人(男3人)巫女(女1人)田植女(女5人)》にて前庭を田んぼと見立て、昔ながらの鋤入れから田植えまでの稲作過程を擬似的に演ずる農耕儀礼をおこなう。
松苗を稲に見立てて田植行事を順次くり広げる。
大和郷の農家の方は、五月十日頃に苗代伏せ(苗代ジメ)に五穀豊穣を祈願して、御田植祭の松苗と菓子などを添えて水口に挿す。また、農家でない方は、家の神棚などに安置し無病息災を祈願します。
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ちゃんちゃん祭り 稚児、頭屋初宮参り
「宮入」は、「精進いり」とも呼ばれている。
宮入は、お祭りを迎えるにあたっての物忌(ものい)みのはじまりの祭事である。
頭屋と頭人児は、三十日まで毎日大和神社に参拝し物忌(ものい)にに服します。
〖参考〗物忌(ものい)み : 祭りのため,一定期間食事や行動を慎み,不浄を避け,家内にこもることをいう。
ちゃんちゃん祭り 宵宮参り
御祭神、日本大国魂大神の御例祭
大和の国の地主神・大国魂大神の例祭と渡御祭。
通称、ちゃんちゃん祭り。氏子の頭屋、稚児など200余名で各町内より供奉し行列順にて、各神具等を捧持し、ちゃんちゃん鐘を合図に成願寺・岸田を経て、中山郷大塚山の御旅所まで約2Kmを往復する。
御旅所では、翁の舞、龍の口の舞が奉納される。山の辺の道を鉦鼓を鳴らしながらの長い行列はいかにも大和の春一番の祭りにふさわしい風物詩とされている。
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昭和二十年四月七日 第二艦隊「司令長官 伊藤整一海軍中将」(大和・矢矧・冬月・涼月・雪風・磯風・浜風・初霜・朝霜・霞)の将兵が九州西南方海域に没してから、終戦七十二年を迎えます。
第二艦隊司令長官伊藤整一海軍中将ほか2,736柱の御霊が大和神社「祖霊社」に合祀されています。
毎年、命日にあたる四月七日に、慰霊祭をとり行い、英霊に鎮魂の誠を捧げ、遺徳を偲びます。
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場所 新泉町村社 素盞嗚(すさのお)神社
(大和神社の南隣)
時間 午前10時~
野神祭は稲作作業の始まる頃に子供(男)組が中心となって野神を祭る行事です。
神社では神主による式典の後、子供達が麦わらで作った牛、馬、じゃじゃうま(むかでともいい、左右に15本宛の足を付けます)と竹製の唐鋤、まんが、はしごのミニチュアで、田に見立てた長方形の小さな砂場で牛を使って農具を使った耕作の儀式をそれぞれ3回ずつ行い、その後、馬を使って競馬の所作をこれも3回行います。
最後に、牛、馬、じゃじゃうまを社殿に置き、祭りは終了します。
昔は同じ境内に相撲場が設けられ、参加した子供達による相撲が行われていたそうですが、現在は砂で作られた小さな土俵として残っています。
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水の神様である高龗神社の御例祭
水は商いにも通じ商売繁盛、あわせて辰年生まれの方々の、出世開運を祈願する。
場所 高龗神社神社前(大和神社の境内)
時間 午前11時~
大和神社の摂社である高龗神社は、祈雨神祭について全国総本社
古来6月1日、10年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々から千人余りも参拝者の列が続いたとある。
先頭に丹生川上神社、中・下社が金御幣を持ち後尾は末社の狭井神社が勤めた。
茅原上つ道を経て箸墓裾で休憩。大倭柳本邑に入り長岡岬、大市坐皇女渟名城入姫斎持御前の井戸で祓い清める。神職は輿と共に神橋を渡り大和神社に入る。一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと倭市磯池に体を清め笠縫邑から神社へ向かう。
(参考)
龗(おかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されていた。「高」は山の上を指す言葉である。
夏の大祓は、境内の茅輪くぐりを行い、半年の生活を反省し、今年後半まがごとなどに染まらず、さわやかな気持ちで過ごせるようお願いする神事
時間:17時00分~
☆茅の輪は、7月3日午前中までは、設置されており、参拝者の方は、自由に茅の輪くぐり行うことが出来ます。
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神社では「大祓(おおはらえ)」という神事があります。年二回行われ、六月末の大祓を「夏越の祓」、十二月末(大晦日)を「年越の祓」といい、それぞれ半年の間にたまってしまった「罪穢れ」を祓い清めて、次の半年の清浄と安泰、無病息災を祈願するのです。
夏越の祓(大祓)の由来は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓いにまでさかのぼり、古代より宮中行事として執り行われてきました。現代でも伝統が引き継がれ、六月三十日には全国の神社で「大祓式」が執り行われています。
罪穢れ、と言われるとピンときませんが、悪い想念などは意外と知らないうちにたまっています。心身の不調を引き起こす「エネルギーの滞り」や、「知らないうちに摂取した不純物」「自分自身の落ち込み(気が枯れる→気枯れ→ケガレ)」なども、半年の間には積もってくるものです。
そうした知らないうちにたまってしまったものを、ここで一度リセットして、神様に残り半年をご加護いただけるよう、神社に祈願をしに行きましょう。
神社境内に作られた、「茅(ちがや)で編まれた大きな輪」をくぐる神事。茅の輪をくぐることで、災厄や病気を免れることができるといわれています。
「8の字を描くように3回くぐる」のが一般的で、その際に「水無月(みなづき)の夏越(なごし)の祓(はらい)する人は、千歳(ちとせ)の命(よわい)延(の)ぶというなり」と唱えるといいとされています。
当神社の祖霊社に奉斎申し上げる戦艦大和戦没将士(伊藤整一命外二七三六柱)の方々が合祀されています。
時と供に風化しつつある中、先の大戦にて戦禍に倒れた多くの多くの人々に慰霊の誠を捧げ、感謝の心を伝え、世界の平和を願い、「戦艦大和みたま祭」を毎年、八月七日に執り行っています。大東亜戦争終結七十六年目の年です。
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10時30分~ 五穀豊穣を祈る秋の大祭
13時30分~ 紅しで踊り奉納
天理市無形文化財に指定されている紅幣(べにしで)踊りを奉納
古来、干ばつに苦しむ農民が大和神社に雨乞いを行い、願いが成就し豊作となり、感謝の気持ちを踊りで奉納した。一時途絶えたが、昭和30年代に女性だけで紅幣踊りが復活。近年では、地元幼稚園児も参加している
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旅の安全守護を給う。遣唐使の出発の際には、大和神社で交通安全を祈願し。道中無事大任を果たし帰国したという歌が、好去好来という題で万葉集に詠まれている。古来より交通安全の神と称えられ、毎年交通安全の祈願を行っている。
子供の健やかな成長を願い、期間中に執り行います。子供が小さな手を合わせ祈る姿を拝し、子供のたくましい成長を祈願します。
大和神社の境内に鎮まります皇神に初穂と白酒をお供えし、感謝の心と農作物等諸産業の豊饒を祈願する祭典
「新嘗祭」は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。 毎年十一月二十三日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感謝するお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉り、御自らも召し上がります。
新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。
また、1873年(明治6年)から1947年(昭和22年)まで「新嘗祭」の祝祭日(休日)であった。以降も「国民の祝日に関する法律」により、「勤労感謝」の日と改称されて国民の祝日となっている。なお、固定日の休日では最も長く続いており、11月23日は日本国民に最も定着している休日でもある。
大和誌に「朝日豊名姫神が佐保庄村観音堂内にあり」と記述。昔は相当の社殿も有ったのだろうが、いつしか廃れ、観音堂の住職が奉仕するだけでは恐れ多いと、明治8年2月19日に観音堂が廃寺となるとともに、大和神社境内に移した。
祭神 朝日豊明姫神 (天照皇大神)
貞観11年(869年)に従五位下を授けられた神社
国や地方の生産物をふやし、産業を盛んにし、交易を奨め給う。また、桜井・奈良街道を行く方は必ず詣でたと言う。
本年最後の祭典。大晦日の夜に行われる、一年を締めくくるお祭りです。この一年を無事に過ごせたことを感謝すると共に、心身を清め、新しい気持ちで、新年を迎えるためのものです。
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