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大和神社は日本最古の神社です。御祭神は日本大國魂(やまとおおくにたま)大神です。大和神社の公式サイトで、由緒・祭典・神事の予定・各行事の動画紹介等を行っています。

TEL. 0743-66-0044

〒632-0057 奈良県天理市新泉町306

大和神社 NEWS&TOPICS

お弓始め祭

 御祭神八千戈大神(やちほこのおおかみ)の例祭.典

 平成30年1月4日

11時50分~13時00分
 参拝者に善哉のふるまい。善哉は、500食用意しています。無くなり次第終了です。


13時00分~15時00分  ☆お弓始め祭式典
 前庭にて天理南中学生10名、県弓道連盟会員40名で、小笠原流弓術の作法にて弓を射る。




 御祭神八千戈大神(やちほこのおおかみ)の例祭新年を迎えての弓打ち神事として厄払いで、一年の健康と作物の豊作を祈願する。祭典後(13時30分頃~)、拝殿前で天理南中学生10名、奈良県弓道連盟会員40名で、小笠原流弓術の作法で弓を射る。祭典前(11時50分)から参拝者に「ぜんざい」の接待を行う。500食限定で、無くなり次第終了。早めに参拝を。

 

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「ちゃんちゃん祭り」の名前の由来

通称「ちゃんちゃん祭り」は、御祭神、日本大国魂大神の御例祭と渡御祭。

 明治維新前は、いずれの神社にても、両部合体の風習にて、僧侶等も祭禮には預かり居れり、此神社にても、北之坊と云える僧舎ありて、毎年四月朔日に行われる、御神輿渡御の節には、この住僧も共に共奉せしたる。そして、此住僧が、中山村の小川(今にこの川を「ちゃんちゃん川」と呼ぶ)の畔に至りしとき、頓て御神輿が御旅所へ御安着たりければ、それを合図に、「ちゃんちゃん」と鉦を撃し故に、「ちゃんちゃん祭り」と唱える、起源とはかりしと云う

「官國幣社特殊神事調」より

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112年ぶりに御田植祭の歌が去年復興しました。

「田植歌」復興
 平成29年2月10日の御田植祭において、永らく途絶えていた「田植歌」が、春日大社・青丹雅楽会様や多くの氏子の皆様の協力により、復興しました。

 「田植歌」は、こちら



「御田植祭の由来」

 御田植祭の起源は、何年頃よりか詳なざざれども、本社の御祭神の御一座なる御年神は田畑を守りて穀物に幸ひ給ふ大神なれば、往昔より鍬山祭御田植式と稱してこの神事を執行せられたるものなり。
 その行事人たる神楽男・神女を出す家は古来定めあり、子孫代々其家より出て勤仕す。 即ち神楽男は田人、二人の神女は田植女と爲りて、
「田植歌」を歌ひつつ田植の狀をなせしが、明治三十八年に至り神楽男並びに神女の解任せるにより、単に御田植祭と稱して、當村々の者掌田人となり牛の仮面を被りし牛男と共にこの行事を爲し来れり。
 その後、郷内朝和・長柄小学校の生徒中、男三名女五名をしてこの行事を伝承して来たが、「御田植歌」は、明治三十八年に絶え、現在に至っています。


「御田植祭の歌」
 わか種植えほよ 苗種植えほよ
  女の手に手をとおりて ひろをいとるうとよ (ヤーレーヤーレー)
 みましもしけや わか苗取る手やは
  白玉取る手こそ 白玉なゆらや  (ヤーレーヤーレー
 ふくまんごくにほんごくに 植えちらし
  手に手をとりて ひろいとるとよ (ヤーレーヤーレー




「復興の趣旨」
 田植えに際して、歌をうたうのは、田や植付する苗に宿る穀物の力を増やすためです。穀物が豊かに育ち、稲穂が十分に実る秋を迎えるための儀式として、御年神の神威を更に増すためです。
 復興にあたり、大和神社に受け継がれてきた「御田植祭」の儀式を守り、できうる限り忠実に歌を復興し、今後10年・100年・永遠にと後世に伝え継いで行くこととする。
 また、「大和神社の伝統を大切に守り受け継ぎ、地域一体となった取り組み」を目指します。



「復興根拠」
 「大和国神社私祭調」(奈良県立図書情報所蔵「奈良県行政文書」所収)(大正六年十二月)に大和神社御田植祭の由来が記録されています。
 大和神社の田植歌は、「新井恒易氏(日本の芸能学者)によると春日大社の御田植祭(3月15日)にも用いられており、春日流の御田植を取り入れたものとみられる。」との見解があり、
 これらの記録を基に、春日大社様の協力により、復興することとなりました。





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節分祭(2月3日)


 16時~  ☆ 節分祭 式典

 19時~   鬼やらい式

 赤鬼、青鬼、天狗の演技の後、空くじ無しの豆袋をまく。





 節分とは“鬼は外、福は内”という言葉と共に、豆をまいて鬼を退治する行事である。別名鬼やらいと呼ばれる行事である。
 疫病を追い払う「鬼やらい」または「追儺」と呼ばれる儀式のこと。平安時代に宮中で大晦日に行われた。
 「方相氏」と呼ばれる役職の人物が鬼を追い払う役目を負っていた。後に、節分の際に豆撒きをする起源となった。
 大豆をまく由来として、豆を“魔目(まめ)”もしくは“魔滅(まめつ)”にかけて鬼の目を意味し、力強く打ちつけることによって邪鬼を追い払おうとしたと言われている。
 この節分の行事には、立春の前日に邪鬼を払い、身のケガレを清め、新たな春の訪れを待ちのぞんだ人々の願いが込められているのである。
 大和神社では、毎年、節分(2月3日)に節分行事「鬼やらい神事」を斎行しており、午後7時に、拝殿にて古式に則り行われます。「赤鬼、青鬼を矛を持った天狗が追い払います。」 邪鬼を払い、身のケガレを清め、人々の幸福と平和な生活を願います。
 その後、参拝者に豆まき(空くじ無しの豆袋)を行います。



戦艦大和みたま祭斎行(2017.8.7)

  当神社の祖霊社に奉斎申し上げる戦艦大和戦没将士(伊藤整一命外二七三六柱)の方々が合祀されています。

 
今年は、台風5号が、みたま祭に合わせて、大和神社へ 風雨強まる中「戦艦大和みたま祭」を斎行しました。
 祭典が始まりましたら、風はやみ・雨も小雨となり これも神様の御心か?
























  時と供に風化しつつある中、先の大戦にて戦禍に倒れた多くの多くの人々に慰霊の誠を捧げ、感謝の心を伝え、世界の平和を願い、「戦艦大和みたま祭」を毎年、八月七日に執り行っています。大東亜戦争終結七十二年目の年です。




新嘗祭 (11月23日 10時30分~)

 大和神社の境内に鎮まります皇神に初穂と白酒をお供えし、感謝の心と農作物等諸産業の豊饒を祈願する祭典


 「新嘗祭」は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。 毎年十一月二十三日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感謝するお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉り、御自らも召し上がります。 新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。
 また、1873年(明治6年)から1947年(昭和22年)まで「新嘗祭」の祝祭日(休日)であった。以降も「国民の祝日に関する法律」により、「勤労感謝」の日と改称されて国民の祝日となっている。なお、固定日の休日では最も長く続いており、11月23日は日本国民に最も定着している休日でもある。

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朝日神社例祭  11月30日 10時30分~

  大和誌に「朝日豊名姫神が佐保庄村観音堂内にあり」と記述。昔は相当の社殿も有ったのだろうが、いつしか廃れ、観音堂の住職が奉仕するだけでは恐れ多いと、明治8年2月19日に観音堂が廃寺となるとともに、大和神社境内に移した。

祭神 朝日豊明姫神 (天照皇大神)
 貞観11年(869年)に従五位下を授けられた神社
 国や地方の生産物をふやし、産業を盛んにし、交易を奨め給う。また、桜井・奈良街道を行く方は必ず詣でたと言う。


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