戦艦大和ゆかり

大和神社は戦艦大和ゆかりの神社です。

「戦艦大和ゆかりの碑」

戦艦大和ゆかりの神社に石碑建立しました。
平成17年に戦後60年を迎え「戦艦大和みたま祭」を執り行いました。それ以降毎年8月7日に「戦艦大和みたま祭」を斎行しています。その時お供え頂いた初穂料で石碑を建立し、今回完成いたしました。本当に有難うございました。感謝いたします。碑の完成写真です。

昭和20年に撃沈した時点で戦艦大和の乗組員数2736名おられましたが、その数にちなみ2736mm×1300mmの大きさの御影石に「戦艦大和ゆかりの神社」と刻み、安置しました。また同石碑の裏面には石碑建立の経過・目的・願いを表しています。


「ゆかり」説明板の建立

「ゆかりの碑説明版」

この大和神社は「戦艦大和ゆかりの神社」です。今回その「ゆかり」を5項目にまとめ、石碑前に説明板を建立しました。

≪説明文≫

戦艦大和(せんかんやまと)には、大和神社(おおやまとじんじゃ)の御分霊(ごぶんれい)>が祭(まつ)られています。


1、奈良時代、遣唐使(とうけんし)らは出発に際して必ず大和神社へ航海(こうかい)の安全祈願(あんぜんきがん)に参詣(さんけい)されました。そうしたご縁(えん)があって戦艦大和の艦上(かんじょう)に大和神社の御分霊(ごぶんれい)が祀(まつ)られていました。

 昭和16年大和神社を描(えが)いた 堂本 印象(どうもと いんしょう)画伯作「戦艦大和守護神(しゅごしん)」は戦艦大和の館長室(かんちょうしつ)に掲(かか)げられていました。

    (広島県江田島(えたじま)市 海上自衛隊  第一術科学校 教育参考館所蔵)

1、となりの祖霊社(それいしゃ)には、戦艦大和が撃沈(げきちん)した時の殉死者(じゅんししゃ)2736名の御霊(みたま)が祀(まつ)られています。

1、戦艦大和の長さは、大和神社の参道(さんどう)とほぼ同じ(270M)で幅はば)は、参道の約5倍(80M)です。


戦艦大和守護神

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「戦艦大和の几帳」」

(財)蘭島文化振興財団では平成22年秋「~現在日本画の革新~堂本印象の世界―祈り・生きる・かたちー」展が開催されました。その時の出版物『図録』の中の第4章「戦中期」の解説文には次のような一節があります。


「堂本印象画伯作日本画《戦艦大和守護神》は、奈良県天理市にある大和(おおやまと)神社を描いたものである。・・略・・昭和16(1941)年戦艦「大和」を竣工するにあたって、海軍は艦名を伏せて、縁のある画題で大和神社の御分霊を祀りたいと奈良県へ発注した。それを受けて、奈良県が印象に依頼し制作された。作品裏に「軍艦大和艦長室」に掲げられていたことが分かる。

昭和20(1945)年沖縄特攻に出撃する際 陸揚げされた。その後江田島に進駐軍が入る知らせを受けて、大作など約200点近くが宮島や大三島へ預けられた。そのうちこの作品は現在の呉共済病院へ預けられ、昭和31(1956)年教育参考館(現在、海上自衛隊第一術科学校教育参考館)へ寄贈された。・・・以下略。」

 以上のことからわかるように、戦艦大和には大和神社の御分霊が祀られています。また司令長官伊藤整一命ほか2736名の方々の御柱及び巡洋艦・駆逐艦の英霊985名の御柱は当神社「祖霊社」に祀られています。また、大和神社の第一鳥居から第二鳥居まで約250mあります。これは戦艦大和の大きさとほぼ同じ長さです。鳥居をくぐって参拝することは『戦艦大和』の端から端を歩くことになります。

龍の大絵馬と戦艦大和の几帳を大和神社へ奉納

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「「龍」の大絵馬」

 几帳作家で染色デザイナーの塩谷栄一氏(京都市上京区在住)がこのほど波に向かう力強い『龍の大絵馬』3.2m縦1.2m)と『戦艦大和の几帳』(縦1.6m横1.3m)が当神社に奉納した。
 塩谷氏は「大和神社より災害除祈願として依頼があり、地震国日本と阪神淡路大震災を思い、いつどこで不幸が起こるとはわからない状況下にある。万物の長としてお守り願い、少しでも人々の安堵になることを願う気持ちで、約6ケ月の歳月を費やして制作した。完成した2日後東日本大震災が発生した。大絵馬は、被災された方々が今回の困難に打ち勝つ意味を込め、龍の強さ、水の神、火の神、家庭(世界)の安全を祈願して奉納させていただいた。

 また、戦艦大和は、不幸な戦争を二度と繰り返さない事を願い、被災者の方々に痛恨な気持ちで平安な生活に戻られることをお祈りする気持ちを込めて仕上げ奉納した。」と話す。続けて「今回の東日本大震災は、日本だけでなく、世界中に大きな影響が及び、経済も大変厳しい状況に置かれている。でも、日本人の知恵とマナーの素晴らしさ、そしてパワーはこの難局を必ず克服出来ると確信している。天災に負けない気持ちを育んでいただくために、ガンバロウの気持ちを龍に祈願した」と塩谷さんは結ばれておられます